こへ長



七松小平太のしたい事


ある日。私と同室の級友である七松小平太を、い組の立花仙蔵が評した。
「小平太はいいな、何も考えていないようで」
それは皮肉と同時に、褒め言葉であった。
私たち6年生は、実習のことや、それから将来のこと、1年生の頃は遠い未来に感じられていたものが、ずっと身近に思える時期にある。自分で言うのもおかしいが、難しい年頃だ。誰もかれもが、少しばかりピリピリとしていた。その中で、彼は中々にしてそういう所を見せないのだ。1度スランプになったきり。
「何かしたい事はないのか」
仙蔵が小平太に聞いた。
「私か?」
彼は、バレーボールがしたいと答えた。


私たちがまだ下級生だった頃、2年生だろうか、3年生だろうか、まだまだ身長も低く遊び盛りの頃だった。
小平太は今にもまして元気そのものだった。晴れの日にグラウンドで彼を見ない日はなく、また、雨や雪の日もしかりだった。
しかし、その日は朝からどしゃ降りで、いくら元気な彼でも外へ出ようなんて事は考えなかったようだ。相手をしに出てくる酔狂な者も居ない。部屋で何もせず、ぼうっと座っていた。
私の方はといえば、今よりも周囲の事に気を使う時期だった。(今はとうにそんなものどこかへやってしまったが)手持ち無沙汰な級友を見て、本を読む顔を上げて声をかけた。
「…雨だな」
「ああ、どしゃ降りだ!私の好きなドッヂボールが出来ない。だってあれは多人数でやらなければ面白くない。だって、人にボールをぶつけられないのだ。私は、人にボールをぶつけるのが好きなのになあ。すごくつまらないぞ!」
口調は元気だったが、彼の目には何も映っていなかった。実を言うと、それはその時に限らずいつもだった。
一年の頃から同室の彼に対して、私はずっと疑問に思っていた。あんなに元気で、明快に見える彼だが、どうしたって目の奥には何も映っていないのだ。
好きだと言っているボール遊びや、忍びの実習中。ペアを組む事も多かったが、一体何を考えているのか。わかったためしなど一度もない。
彼の瞳には意志の力、というものがないように思えた。有り体で生きている。自然体というやつだ。さらしの木綿。手入れをされていない盆栽。河原でまるまった石。
そうして、私は何となく気まずくなり顔を下げたり、上げたりして、それを数度くり返した後に言った。
「部屋の中で…何かしたい事はないのか」
「うーん」
「宿題が出ていたぞ」
「私は頭を使うのがいやだ。うん、いやだな」
小平太はしばらく何かを考えていたが、急に私に詰め寄って言った。
「わかったぞ!私はお前と口吸いがしたい。あわよくば、後ろの方につっこみたい」
「何を言っている…」
同室の破天荒さには慣れていたつもりであったが、これには私も少々、いや、かなり面食らった。七松小平太は、今まで別に男色家のケなどまったく見せなかったし、私の方も、自分の容姿が美しい女のようならいざしらず、かなり骨張ったまさに男という感じだったので、最初はからかわれているのだと、たかをくくって話を続けた。
「お前、私の事をどうにか思っているのか」
「ん?長次はいい友達だ!」
彼は、何の淀みもなく答えた。特別な感情を持ってもいないのに、そんな事をしたいなんてこいつはどうかしているのか?と顔をしかめかけたが、彼の考えている事を理解できたためしなどないので、すぐに考えるのをやめた。
「…他に、したい事はないのか」
私が困窮しているのを見て、小平太が急に真顔になった。
「死にたい」
「…」
「私は死にたいのだ長次」
その時、私ははじめてこの級友の瞳に意志の力を読み取る事が出来た。
彼が本気でそれを言っているのがわかって、ゆっくり目を泳がせた。正直に言って、どう反応していいかわからなかったのだ。
小平太は天気の事を話すように続けた。
「私が考えると駄目なのだ、長次。死にたくなってくるんだ。だから頭を使いたくないんだ。体を動かしていたいんだ。何かしていないと、死んでしまいたくなるんだ。私は。どういう訳だかは、知らん。だが、途方も無く死にたくなるんだ。だから、雨の日は困る。体を動かせないのは困る。死にたくなる。別に悲しい事があったわけでもない。悔しい事があったわけでも、何でもない。ただ、死にたくなるのだ。死んでみたくなってしまうんだ」

それで充分だった。
つまり、私たちが寝る理由である。

触れたのは、私が先だった。顔を近付けて、唇に触れた。正真正銘の男だった。体をまさぐる手も、そのにおいも、すべてが完全な男だった。
ここではっきりさせておきたいのは、私がこの一言で級友に惚れてしまっただとか、以前からそういうものに興味を持っていただとか、そういう事は一切ないという事だ。ただ、私の心に少しばかりの友情の炎が灯っていた。ただそれだけの事である。
それから、どしゃ降りの雨の音にかき消されるのをいい事に、もつれあって、わけがわからなくなるまでやりまくった。
彼は私とやっている時、何も目に映っていなかった。それでいい、それで。

今では彼と寝る事を、別にどうも思わなくなってしまった。それほどやりまくったのだ。多い時は週3のペース。
それでも、それだけ同じ布団で寝ても、二人には、恋仲の間に存在するようなものは何ひとつとして生まれる様子はなかった。
あるのは、6年間の友情だけである。小平太は生きたい、と思っていたし、私も彼に生きて欲しかった。彼は私にとって、大事な級友。あちらでもきっと同じ。それ以上でもそれ以下でもない。


「あーあ、また今日も雨が降りそうだ。文次郎、ひと雨来る前にもう一度バレーボールしよう!」
「またか?お前はバカみたいに力いっぱいで打って来るから手首が痛くてかなわん」
私が内側の思考へ入ってしまっている間に、他の者の食事は大方終わってしまっていたようだ。向こうの机で土井先生が暗い顔でかまぼこをつついていた。
「でもなあ、力いっぱい打たないと面白いゲームにならないのだ!なあ?留三郎?」
「おい、お前は忍者じゃなくてバレーボール選手にでもなるつもりかよ」
食満の冗談でみんなが笑った。
私は、それならばどんなによかっただろう、と思った。


死ぬな、友よ。