食満平



現代パロディの食満留三郎(15)の地元は千葉県、
東京に出るには電車を乗り換えて一時間はかかる場所に住んでいる。



「もーいーかい」

塾への通り道。
寂しい墓地から似つかわしくない子どもの声が響いたので、食満留三郎はぎょっとして、下り坂の途中で立ち止まった。
中学3年にもなって恥ずかしいが、場所が場所なのでお化けが出たのかと思って驚いてしまったのだ。
恐る恐る低い塀の中を覗き込むと、墓石の間を黄色い帽子がヒョコヒョコと移動しているのが見える。
近くの木陰には黒いランドセルがひとつだけポツンと置いてあったので、どうやら小学生のようだ。

「まーだだよ」

黄色い帽子からさっきの声が聞こえて、あたりはシーンとなった。

何となく気になって、裏門まで回り、霊園の中へ入る。
塾にはまだ少し時間があるのだ。
冷たい空気と共に線香のにおいが、体をぶるっと震わせた。
実を言うと、少しこわい。夕暮れの墓場でひとり遊ぶ子どもなんて、いくら何でも怪しいではないか。
一体何をしているのだろうか。

「まーだだよ」

黄色い帽子は、さっき隠れたところにまだあった。それをかぶっている人物も。
留三郎は、音を立てないように近づいて、ひと言声をかけた。

「おい、何してんだ?」
「!!!!」

子どもは、カチン、と固まったように、体を硬直させた。
それからゆっくりとふりかえって、「わ」とか「あ」とか「は」とか、断続的な音を出した後、顔を赤くした。
音の断片をひろうと、どうやら「ごめんなさい。ここは遊んじゃいけない場所でしたか?」と言っているようだ。
留三郎は笑って答えた。

「違う、俺はここの人じゃない。ただ、通りすがりに声が聞こえて驚いたもんだから、気になってちょっと見に来ただけだよ。えーと…友達は…?」
「ひ、ひとりです…」
「ひとりでかくれんぼか?」
「このにおい…落ち着くから…でも…ただじっとしてたら怪しく思われちゃうと思って…かくれんぼ、するふり」

ひとりでかくれんぼをしているほうがよっぽど怪しいぞ、と思ったが、彼はそれを口にしなかった。
寒い中じっとしていると風邪をひきそうだ。
その子は留三郎が「寒いから早く帰れよ」と声をかけると、「はい」と妙に神妙にうなずいてランドセルを背負い、とっとこ歩いていってしまった。


次の日。
ゲームをしていて時計を見るのを忘れてしまっていた留三郎は、塾に遅刻しそうになり、全力疾走していた。
今年一番の寒い日だと天気予報で言っていたくらい、今日は寒い日。口までをすっぽりマフラーで隠したが、そこから出ている鼻の頭がキンキンに冷えて、凍ってこのままポキンとおれてしまいそうである。
と、昨日の霊園にさしかかったところで、また同じ声がした。

「もーいーかい…」

あの子どもの声だ。
遅刻しそうではあったが、何となしに放っておけないぞ、と留三郎は思った。
しょうがなく、彼は霊園の近くにある小さなおばあさんが営む商店へと足を向けた。地元の小学生と中学生は、よくそこでお菓子や文具やらを買うので、馴染みの店だった。
そこに設置してある自販機に、留三郎は親から貰ったジュース(塾で飲む用に貰っている)代を入れ、コーンポタージュのボタンを押した。
自販機は古いタイプのもので、あたりが出たらもう一本!という特典つきだった。光が商品ボタンの中をタッタと駆け抜けていく。

(あたった事ねえなあ)

しかし、その考えと呼応するように、「当たりが出ました!もう一本!!」と、自販機は不必要に元気のいい声を出してくれた。ジュースが当たったのだ。
少し迷ってから、大人ぶって苦手なブラックコーヒーのボタンを押してみた。

昨日と同じ入り口から、霊園へ入る。
寒い日の墓場は、石に囲まれているから外の世界よりももっともっと寒い場所みたいだ。留三郎は思った。

黄色い帽子は、昨日と同じ場所にうずくまっている。
そして、昨日と同じように「もーいーかい」とつぶやいた。
留三郎は、何と声をかけようかと少し迷って、それから「もーいーよ」と話しかける。
思った通り、昨日と同じようにぎこちない動きで、こちらを振り返った。

「…あ、お兄さん…」

男の子は、少しだけほっとしたように笑った。
なぜかくすぐったい気持ちになった留三郎は、出来るだけ押しつけがましくないように、コーンポタージュとコーヒーの缶を差し出した。

「寒いだろ、買ったら当たったからどっちか飲んでくれ」

でも…と遠慮する男の子に、ひとりじゃこんなに飲めないから。とさらにもう一押しして、小さいてのひらにコーンポタージュの缶を握らせる。先まで冷えきった、小さい手だった。

「ありがとうございます」
「こっちこそ、ありがとな」

ふたりで、ランドセルのおいてあるベンチに並んで座った。
木枯らしがヒューヒューと音とたててふいている。塾には完全に遅刻だった。
男の子に名前は?と聞くと、平太、と小さい声で答えが返って来た。

「へーたか、うん。へーた」

二度繰り返して言ってから、缶を右手と左手でキャッチボールして、いい名前だな、ともう一度言った。

「お兄さんは?」
「俺?俺は…」

留三郎は、足下の砂に枝で名前を書いた。

「これ、何で読むと思う?」
「しょく…まん?」
「けまって読むんだ」
「ケマ」

平太は、ケマ先輩…と小さい声でつぶやいた。また心がくすぐったい。
自分の恥ずかしさをごまかすように、留三郎は彼の頭に手のせてポンポンと叩きながら言い聞かせた。

「こんな寒い日に、じっとした遊びをしちゃ風邪をひくだろう!もっと鬼ごっことか、動く遊びをすればいいのに」
「でも、ここで遊んでくれる友達がいないんです。みんな、こわいって言うんだもん」
「なんでそんなに墓場にこだわるんだ?公園じゃ駄目なのか?」
「おばあちゃんの家のにおいがするから…」
と言って俯いてしまった横顔は、口をきゅっと結んで何かを我慢しているようだ。
留三郎は、いけない事をきいてしまったかな、と不安になった。
どうにかしてこの子を勇気づけてあげなければ!妙な義務感が彼を奮い立たせる。
「あー…っと、よければ俺が遊んでやろうか?な?」
「本当ですか?でも…」
「遠慮すんなって!」
引退する前は野球部だった彼は、元気よく小さな肩を叩いた。
こちらを向いた平太は、遠慮がちにはにかんで、とても嬉しそうな顔をした。


「話しかけてくれて、うれしかったのを隠すのにうつむいちゃったんです」
春、地元の高校の制服を着た留三郎に、5年生になった小さな友達が言いにくそうに打ち明けてくれた。
「何だって?じゃあばあちゃんは?」
平太は、歩いてすぐのとこに住んでる。と何の気なしに答えた。
「僕、ずっとちいちゃい頃からおばあちゃん家で遊んでいたんだけど、リフォームしてたからしばらく遊びにいけなかったんだぁ」
「リ、リフォーム…」
「あのね、いっつもおばあちゃんに食満先輩の話をしているよ。今度一緒にごはんを食べに行ってくださいね。そうしたら、とってもとっても喜ぶと思う!」
寒かった季節よりも随分と彼に懐いた男の子は、黒い学ランのすそから出た手を握り、ね?と、甘えるようにそれを左右に振った。
留三郎は釈然としない顔で「ウン」と答える。
彼は、平太と遊ぶのに忙しくて塾をサボりまくった結果、第一志望の東京の高校に落ちてしまったのだ。
受かっていれば、地元を離れて一人暮らしをさせてもらえるはずだったのに。
交通の便の悪い、駅前にはサティしかない、地元から離れられるはずだったのに。

「やったぁ」
平太が留三郎にギュッと抱きつく。
「絶対ですからね、食満先輩!」

合否発表時。
悔しいはずなのに、自分の番号が見つからなかった右手が小さくガッツポーズを作ってしまったのは秘密だ。