不機嫌に見えるように 「せんぱいって、僕の事好きなんですかあ?」 一年後輩の伏木蔵は、単刀直入に聞いた。 今は保健委員の当番中、保健室には二人しか居ない。今日は珍しくけが人も病人も無く、そのひと言まで部屋はしんと静まり返っていた。 「何言ってんだお前」 薬草の本を読んでいた顔を上げて、左近は不愉快そうに、後ろに居る後輩を振り返った。 「なんで僕がお前を好きにならなきゃいけないんだよ!」 「だって」 伏木蔵は、手に持っていた饅頭を頬張りながら、じゃあなんでこんなに美味しいお饅頭くれるんですかあ、と言った。 それは、さっき部屋に入って来た時「もらいもんであまったんだ」と言って、渡してくれたものだった。近くの町で流行っている店のものだという事は、つつみ紙を見てすぐわかる。 「さっきも言っただろ?貰いもんだって。俺はもう沢山食べたしな。しかも…お前はいっつも何かとゴチャゴチャおしゃべりでうるさいだろ?僕が本を読む間くらい黙らせとくにはちょうどいいと思ったんだよ」 彼は怒ったように呆れた声を出した。 「それだけ?」 「そう、それだけ!」 「ちぇ」 はぁ、何がちぇだ、とため息をついて伏木蔵に背を向けると、今まで読んでいた薬草の本に目をうつす。 が、本の文字なんか、追えるわけなかったのだ。 実際、この部屋に入って数時間。彼は同じページの同じ行を行ったり来たりして、単調な眼球の浪費運動をひたすらにくり返しているだけだった。現に読みはじめた当初から、この本は2ページほどしか進んでいない。 とりあえず背中を向けているから、伏木蔵は気付かないはずだ。 本当のところ、左近は伏木蔵とふたりっきりの空間に居られる今日の当番が、一ヶ月も前から楽しみだった。 会話をするとすぐに怖がらせてしまうから、話さなくてもいいように本まで持ってくる徹底ぶりだった。後輩に喜んでほしい一心で、前日の休みにわざわざお金をはたいて、有名な店の饅頭を買ってきてしまうほどに。 小銭を握りしめて、「ひとつだけ…」と言うのは、左近だってとっても恥ずかしかった。なにせ、高級店の品である。単価売りなどしていないものなのだ。本来は…。それでも、恥ずかしい思いをしてでも、左近は伏木蔵に喜んでほしいというそれだけで、勇気をふりしぼった。 帰り道、あのあまり顔色の良くない顔で饅頭をほうばる伏木蔵の姿を夢想して、思わずへへ、と笑みが漏れる。反対側から歩いて来た町人のおじさんにギョッと顔を凝視されるほどにやけていたらしい、ハッと我に返って顔を赤くした。 つまり、川西左近はそんくらい、鶴町伏木蔵が好きだったのだ。 (別に、あいつは特別可愛いわけでもなし…) と、彼は自分自身に嘘をついた。 本当は、眠た気なまぶたは素晴らしいと思っていたし、さらさらの髪の毛は、一度でいいから思う存分触ってみたい、と常々思っていたほどだった。 それから、能面みたいに小さい口がちょこちょこ動く様子は、言いようもないほど左近の胸を踊らせた。顔色の悪い顔を手のひらで包んで、あたためてやりたいと思う。 なんて可愛いんだろう。可愛い、可愛い、僕の後輩! 彼は、半ば崇拝しているような気持ちで伏木蔵を見る事すらあった。 左近は学園の裏々山にあるお地蔵さんを一週間に一度訪問しては、(同じ委員会にしてくださって、ありがとうございます)と手を合わせ、おむすびをお供えするほどで、彼は驚く程純朴な11歳だった。 しかし、残念ながら、心の純粋さとは裏腹に彼は素直に振る舞えるたちではなかった。 例えば級友の三郎次は、普段は自分と同じくらいに一年生から”イジワル”のレッテルを貼られてはいるが、それでも素直に相手がすごいと思ったら褒めるし、良いと思った事はきちんと口に出せる。 それが彼の漁師の家に育った実直さからなのか、それとも彼自身の生まれの性質なのかはわからない。わからないけれども、自分よりはよっぽど素直で、自分の気持ちを口にできる事だけはたしかで、左近はそれが本当に羨ましかった。 なにせ、自分の口をついて出るのは、可愛いのかわりに「ウルサイ」だの、ありがとうの代わりに「嫌いだ」だの、一緒に居たいの代わりなんか「早くどっか行けよ」なのだ。 こと、彼の可愛い伏木蔵に関しては、この本音の裏目に出かたがそりゃもう酷いのである。 恥ずかしまぎれにポカリとやってしまう事もあるし、顔をまっすぐ正面から見る事ができず、フンッと顔を逸らしてしまうような事ばかりで、泣かせてしまう事すらあった。 その時は頭がボーっとなって、わけもわからずやってしまうのだが、1日の終わりにその出来事を布団の中で思い出して、委員会のある日は毎回頭を抱えた。そして憂鬱になって、明日こそ謝ろうと思うのだ。いつも、思って終わりなのだけれど。 こんな事では嫌われているに決まっている…。 左近は諦めていた。自分が素直になる事はもう無理に近しいので、努力はしない事にした。 そっと、委員会で、近くで見られるだけでいいのだ。 「せんぱあい、お茶が入りました」 と、伏木蔵が背後からぬっと声をかけた。 「うん、ありがとな。置いといてくれ」 「はい」 コトリ、と湯のみを文机に置く音がして、それから静かな衣擦れの音が聞こえる。 「左近先輩」 すぐ近くで声がしておどろいて振り向くと、伏木蔵がお饅頭を半分差し出していた。 「せんぱいも半分こしましょう」 「だから、僕は…」 「あのね、昨日のお休み…僕も町に居たんですよ」 「えっ」 「偶然このお饅頭屋さんの近くを通りがかったんですう」 「…」 「そしたら先輩が…お饅頭一個買ってるから、ひとりで食べたいのかと思って声はかけなかったんですよお」 左近は顔から火が出るようだった。あの、一個買いの瞬間を見られていたとは。思わず手が出そうになった瞬間、伏木蔵から出たひと言で彼の動きはピタッと止まった。 「だって、左近先輩優しいから、僕が声をかけたらきっとお饅頭をくれるでしょう」 「僕が優しいだって?」 「はい、先輩は優しいです」 伏木蔵は、小さい口を逆三角形にしてへふふ、と笑った。 「三郎次先輩が言ってました。左近先輩は言ってる事と正反対の事を思ってるって。それに、僕も、先輩が優しいのなんてずっと前からわかっているもの」 「お前にいじわるばっかりしてるのに…?」 普段なら減らず口を叩くような場面だったが、あまりの事に気が動転し、いつも通りの反応が出来ない。何だって、僕が優しいだって? 「先輩は、口ではいじわるだけど、本当にいじわるだった事なんて一度もないでしょう」 そう言って、顔色は悪いけれどもよく変わる表情で左近に笑いかけた。 「落とし紙をバラまいてしまった時は一緒に拾ってくれたし、いつもこうやっておやつをくれるし、この間風邪を引いた時、たくさん御世話してくださいました」 「それはッ!保健委員として当然の事じゃないか…」 「ううん、そうかなあ…でも、そういう風に思わせておいてくださいね。だってえ、僕先輩が好きなんですもの」 「なっ」 「左近先輩は、優しいから好きですよう」 伏木蔵は左近の右手をとると、両手でギュッと握った。 「左近先輩は、優しいから好きです」 そう言って、顔色のせいなのか何なのか、力なさそうに微笑んだ。 左近は胸の奥から頭のてっぺんまで、熱がカーッと全身を昇るのを他人事のように感じた。 恥ずかしい話だがきっと、今入れてもらったお茶よりも、握られた手の温度は高いのだ。 おわし |